【この物語はフィクションです】
今日は飲み会だった。
サークルの1、4回コンが終わり、各自2次会にいくか、帰るかの段階だった。
あまり夜遅いのは得意ではないけども、どうしても先輩に聞きたいことがあった。
4回生の会長を探して声をかける。
「あの、すみません。」
「どうした?」
「ちょっと聞いてほしいことがあるんです。」
その先輩は前から知っている人だった。突然のことに、なんだ、という顔をしている。
「うん、いいよ。」
「ありがとうございます。僕、悩んでいるというか、考えていることがあって、、、」
「ほう。」
これまでの悩みを打ち明けることにした。
sponsored link
「僕、みんなをまとめるのって昔からしているんで、そういうの得意だと思ってたんですよ。
だから、このサークルでも1回生のなかではまとめ役というか、そんな感じのことしているんですけど。」
「うん。」
「なんか全然みんなついてきてくれなくて、腹が立つ時があるんです。」
俺は必死にやっているつもりだった。率先してみんなを引っ張ろうとしていたし
頑張っていたはずだった。でも、みんなついてきてくれない。
「お前、リーダーに向いていないよ。」
「えっ?」
「いや、リーダーには向いていないから、そんなものさっさと辞めたらいい。」
「でも、だって、僕、中学校でも高校でも学級長とか、キャプテンとかしてたし、そういうの得意なはずなんですよ。」
僕は必死だった。いきなりそんなことを言われても、受け入れられるはずがない。
「お前さ、なんでそこまでリーダーをしたいの?」
「んー、なんというか、やっぱりやりがいあるし、僕には合っていると思うし、、、」
「いや、違う。」
「えっ?違うって、、、?」
「お前がリーダー役をしたいのはそんな理由からじゃない。」
何を言っているんだ、と一瞬思った。でも先輩の顔が本気だった。
「気づかないのか?お前はリーダー役を道具としかみていないんだよ。」
「道具として、、」
「ああ。お前はリーダーになっている自分がかっこいいと思っている。
リーダー役をしている自分が好きなんだ。リーダーをやりたいのは誰かのためではなく、
お前のためにしている。だから人はついていかない。」
頭が真っ白になった。しばらく何も考えられない。
「お前、自分がリーダーにならなかったら、価値がないと思ってるんじゃないか?
リーダーにならない自分なんてダメなやつなんだって。」
少し落ち着いてきた。深呼吸をしてみる。そして自分のことを振り返ってみた。
よく考えた時に、先輩の言葉が嫌でも突き刺さった。なんで今まで気づかなかったんだろう。
「もしかしたらそうかもしれないです、、、僕、自分のためにリーダーをしていたのかも。」
「人がついてこないのは、自分のためにしてるのが周りにも伝わってくるからだ。
それが例え言葉ではわからなくても、雰囲気とかそういうものでわかってしまう。」
なんだか情けなくて何も言えなかった。
「あまり、人も頼らないんじゃないか?全部抱え込んでしまったりとか
やるべきことを自分でやってしまったり。」
「はい、あります。周りからよく言われるんですけど、なかなか変えれなくて。」
「当たり前だよ。それも結局道具として扱っているから。」
「これも、、、ですか、、?」
「ああ。頑張っている俺は価値がある。例えどんなにしんどくても
頑張っている自分が素敵、とか思っている。だから何でもやってしまうんだよ。
逆にやらないと気がすまない。だってやらないと自分の価値がなくなると思っているんだからな。」
もうメンタルはボロボロだった。先輩の言うことは確かに当たっている。
「じゃあ、僕、どうしたらいいんですか、、?」
sponsored link
声が小さくなる。先輩の顔もまともに見れなかった。
「自分をもっと愛してやれ。」
「えっ、、、、」
「自分の価値を信じてやれ。そこから始まる。」
あまり理解できなかった。自分を愛する?価値を信じる?
「よくわからないです、、、」
「お前は今、条件つきの愛を持っている。
何かしている自分がすごい、リーダーをしている自分はすごい、と。
なぜなら、お前は自分のことを60パーセントや70%の人間だと思っているから。
でもそんなんじゃない。
もともとお前は100%の人間ってことをまず知らないといけない。」
自分を愛してあげる、、自分を100%と知る、、、今まで自分をダメなやつだと考えていた。
どこかでそんな風に思っていた。
「いろんなことを言ったけど、今の自分を否定するなよ。」
「否定しない、、、?」
「ここで否定したら結局変われない。
今の情けない自分でも、まずはそんな自分を受け入れて愛してみろよ。
そんな自分もお前なんだし、それを否定することは自分の存在を否定することになる。
お前はお前でいいんだって。何かしてるお前がすごいんじゃない。
リーダーをしているお前がすごいんじゃない。
俺はお前がそんなことできるから話しているんじゃない。
ありのままのお前が好きだから、こうやって話ができている。」
涙が止まらなかった。次から次へと出てくる。
昔から必死だった。確かにリーダーを決めるときはヤケに必死だったのかもしれない。
今考えたら、それは恐怖からだったのだろう。自分の価値がなくなることへの恐れ。
足りないものをリーダーという役で埋めていた。
「すみません、なんか涙が止まらなくて、、、」
「まったく、すぐピーピー泣きやがって。さっきはキツイこをいったな。
お前はリーダーに向いていないって。それはお前がその素質がないってわけではなくて、
今のお前は自分のことしか考えてないから向いてなかったんだよ。
リーダって、結局、なってもならなくてもいいや、って思っているやつがなるんだよ。
他にいるならしなくていいや、でも誰もやらないんなら俺がなってもいいかな、くらいの気持ち。
それでもそんやつはリーダーに勝手に選ばれる。そんなもんなんだよ。」
今日は飲み会のはずが、こんなことになるなんて。周りに誰もいなくてよかった。泣かれているところを見られたくはない。
「なんか、その、、ありがとうございます。僕ぜんぜん甘かったです。」
「まあ、完璧なやつなんていないよ。全部必要なプロセス。そんな自分も愛してやれ。」
「はい!」
「じゃあ、2次会いくか!!」
こうして先に2次会をしていたグループに途中参加することにした。
今日はすごく自分と向き合わされた。自分の嫌な自分も見れた。
だいぶと飲んだけど、もうちょっとだけ飲んでもいいのかもしれない。
そう感じた。
sponsored link
たしかにっ!
ただ、
究極のエゴが最強のカリスマ性を生むという考えにも納得しちゃう…
クッジーメはどう?
コメントありがとうございます
そうですね、確かにそういう人はいると思います。
しかし、その人はおそらく内面的な変化が必ずあるんじゃないでしょうか。
最初はただ自分の「したい」という欲望でしかなかった。
でもそれが気づいたらみんなのためになっている。
そんな変化があったのでは、と思います。
あるいは、こんな考えもあります。
ひとそれぞれ得意なものがあり、人によっては
作業が得意だったり、暗記が得意だったり、教えるのが得意だったり。
そんな中、人を引き寄せるとか、束ねる、といった才能を持った人がいます。
はじめは自分の欲望でしかなかったけれど、その経験でもともと持っていた
才能が開花した、ということです。
これが僕の考える意見ですが、どうでしょうか?