なぜ明智光秀は織田を仕留めなかったのか?〜映画「信長協奏曲」に学ぶ〜

信長協奏曲

日映画「信長協奏曲」を見に行きました。

一人ですけど笑


さて、
この映画はちょっと変わっていて、



(あ、まだ見ていない人はネタバレするかもしれません。)





現代にいた勉強が苦手な普通の高校生(サブロー)が主人公です。


あるとき彼はタイムスリップして戦国時代に行き、

容姿がそっくりな本物の織田信長の願いを聞き入れ、信長として生きていくハメになります。



自然体で生きていくサブローは図らずして歴史通りに事を進めていきます。

そして、代わりに本来の織田が明智光秀として顔を隠しながら過ごすことになります。


最初は織田がサブローに全てを投げ出したにもかかわらず、
だんだんと出世していくサブローを見て織田こと明智光秀は妬み始めます。


そんな中、織田の家臣である羽柴秀吉が織田を言いくるめてサブローを殺そうと計画する。

実は、秀吉は子供の頃、織田(本物)の手によって両親を亡くしています。


秀吉は織田を憎んでいるし、
織田もサブローを妬んでいる。


そこで羽柴は織田にサブロー暗殺を投げかけるわけです。







てまあ、だいぶハショリましたがこんな感じです。

で、羽柴は織田と組むわけなんですよね。
(この時にはすでに明智光秀が本物の織田だということを知っている)


で、最終的には織田にサブローを仕留めさせて、その織田を仕留めて天下を統一する

という計画を立てていたわけです。



羽柴秀吉も織田信長もどちらも憎しみ、妬みから行動を起こしています。


しかし、織田は結局サブローを仕留めることをやめました。

あんなに憎んでいたのに、なぜか?




それが今回の記事の肝です。


それはサブローの


命懸けで織田(明智光秀)を守ろう


とする行動に心を打たれたからです。



サブローは自分の命が危険だとわかっていて、窮地にたっていた織田(明智光秀)を助けに行きました。


その「愛ある姿勢」が織田の心を変えたんです。



ですが、羽柴秀吉は変わりませんでした。

そのままサブローを仕留めに行かせた明智光秀(織田)がサブローを逃したことを知ると、
織田を殺してそのままサブローも殺しに行きます。


羽柴は復讐にとらわれて、我を忘れていく。




羽柴と明智光秀の違いは何か?



それは、自分を愛してくれている人がいたかどうか、




だと思います。

別に恋人や愛人である必要はありません。



自分の価値を信じて、人として愛してあげてあげれる人がそばにいるかどうか。



明智はサブローの愛ある行動に考えを改めさせられます。



もし、羽柴にも自分を愛してくれる人がいたなら


羽柴は復讐にとらわれず、違う道を歩んでいたのかもしれない。





これは映画の中の話だけではありません。


親や友人、親友、愛人もそうです。


自分の価値を信じてくれて、ありのままを受け入れてくれる、

そんな人の存在がいるかどうかで本当全然違う。



僕はずっとそんな人でありたいし、愛をどんどん注いでいけるようになりたい。


きれいごとではなくて、本当に心の底から。



辛いのを知っているからこそ、こんなことを思うんです。
子供の時の経験があったからこそ、痛みを知っているからこそ、同じ気持ちがわかる。

またこのほかにもあるので、
随時更新していきたいと思います。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。


信長協奏曲

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