60分間じっと授業を聞いている生徒の方が異常だと思います


60分間じっとしていられる方が逆にすごい。


中学の授業風景を見ていると、ここは葬式か!と思うことがあります。
先生にとってはそれが都合がいいのでしょう。

でもそれは先生にとって、でしかありません。


僕は客観的に見て思うのが、よくも60分も何もしゃべらず、じっとしていられるな〜ということ。

先生はしゃべる生徒に対して叱るわけですが、そんなの無理です。
ずっと静かにしている生徒の方がよっぽどおかしいです。


特に多くの授業は先生主体であり、先生が一方的に話しているだけです。
(もちろん先生の中には生徒が授業に積極的に参加出来るようにしている人もいます。)


質問が簡単にできる雰囲気でもない、
発言が許される雰囲気でもない、
先生は一方的に話をする、
生徒は椅子に60分座っているだけ、、、



それじゃあ、生徒は寝るか、我慢できなくて友達とこそっと話をするかしかないでしょう。

そこでずっとじっとしておけ、という先生が異常じゃないかなと思います。


生徒が話をするということは、

その授業がつまらないことの意味であり、
生徒が授業に参加していない、ということでもあり、
生徒が他人と話すことを力のはけ口としている、


ということです。




僕はじっとしている生徒がむしろ恐く感じます。
一体どうなっているんだと。



一方通行で話すスタイルは前までは良かったのかもしれません。

しかし、今の時代にはミスマッチです。



昔は上の命令が絶対でした。
戦争があった時代には、悠々と考えて判断する時間なんかありません。

そんな状況で最適とされたのは、

言われたことをつべこべ言わずにする。
上の命令に従う。


といったことです。
考えるのは上のごく一部の人で、その他は言われたことを忠実にしていきます。


戦争が終わり、日本はマイナスから一気に急上昇していきます。
「モノづくりの日本」として経済を巻き返していきました。


その時代も必要とされたのは、上のごくわずかな人たちが考えた商品を
正確に早く生産する、ということ。


戦争が終わってもこの流れは変わりません。
マニュアル通りに忠実にこなしていく、というのがその時代のスタイルです。



しかし、今は違います。
(この後の流れは飛ばします。また違う機会で時代の流れと教育を捉えていきます。)

ロボットができて、単純作業が機械にとって変わると、人ができることを真に求められます。
その時に必要なのは、誰かの命令を忠実に聞く能力ではなく、自分で考える力です。



答えだけを求める時代はもう終わったのです。
それを認識している先生としてない先生とでは、授業がまるで違います。


もう変わらないといけないんです。
変えていかないといけない。



また、近日詳しく記事を書いていきます。
今日はこの辺で、ありがとうございました。


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