破滅に導く「期待感」〜いますぐ期待を捨てなさい〜

期待

期待をする

これはいろんなところでされるものですが、果たしてそれがいいのかどうか。
今日はそれについて話していこうと思います。



例えば、

自分が友達に対して何かを期待する
親が、子供にいい子になって欲しいと期待する
コーチが選手にこうして欲しい、と期待する
我が子が大企業に勤めるだろうと期待する



そんな期待はいいものなのかどうか。






僕の意見からすると

期待なんてさっさと捨てろ

これに行き着きます。



なぜなら、
期待とはコントロールであり、
期待とはその人ができて欲しいという自分の願望だからです。


よく、お前には期待しているよ!


といった言葉を聞きますが、それは言った側の願望であって、言われた人のものではありません。

よくあるのが、過剰な親の期待を受けて、子供が非行に走るパターン。
子供が自立した大人に成長していくはずが、親の期待(コントロール)に反応してしまって突然反発心が生まれます。


そうなると、親の言うことは何も聞かなくなり、関係は良くなりません。




受験期の親だってそうです。
子供に過剰に期待することは逆に子供の勉強を妨げることになります。

自分で勉強していたのに、自分のために勉強をしようと思っていたのに、親の期待(コントロール)を感じ取って、
親のために勉強している、といった気持ちになります。

そうなると、勉強のモチベーションはあがりません。
むしろ、自分のためではなくて親のため、になるので勉強しなくなるのです。



じゃあ、親としてどういった態度をとったらいいのか。

それは


どっちでもいい


です。



一見、この言葉は放任主義かと勘違いされてしまいますが、そうではありません。

子供が勉強して志望校に受かっても受からなくとも、その努力を認めてあげる。
それが相手を思う一番の行為なんです。


期待ではなく、信頼



アドラー心理学でも、課題の分離というものがあります。

人にはそれぞれ自分の課題が存在し、それに対して介入することが自己中なんだと。



子供が勉強をして、志望校を落ちたり、そのせいで人生が変わってもそれを引き受けるのは親ではなく子供です。

そこに過剰に介入するということは、子供を信頼していない、ということであり、
自分がいないとだめだ、といった考えはまさに課題の分離ができていなく、自己中心的な考えの極みです。




さて、ここで終わらないのが「期待」の怖さ。


期待は期待される人だけがダメージを受けるわけではなく、
期待する側も影響を受けます

先ほどいったように、期待は自分がそうなってほしい、というただの願望を押し付けた状態であるので、それが達成されなかった時、それは負の力となって自分に返ってきます。


例えば、掃除をしているとして友達に手伝ってくれることを期待していたとしましょう。

そうすると、期待通りにいかなかった時、あなたは「裏切られた」といった感情を持ち、
願望通りにいかなかった反動が自分に返ってきます。


一気に力が抜けていく感じ。経験したことはあるんじゃないでしょうか?

落胆して、疲れが出てくるあの感じです。



これがもし、期待ではなく、信頼だったらどうでしょうか?

あなたの反応は変わるはずです。



何か友達にもあったのかな
手伝えなかった理由があったのかもしれない
実は俺よりも忙しかったのかな



そういった考えにいたることができます。

そうすると、落胆はしませんし、自分の願望の話ではなくなるので、自分の中で負のエネルギーが充満することはありません。







期待は怖いものです。

期待される側も、期待する側にも大きく影響を与えます。


期待ではなく信頼



それが自分と相手をプラスに変える大事な概念です。




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