町内の祭り「地蔵盆」からとらえる人間関係〜フラット化〜

地蔵盆

々の関わり方は変化するこの時代の中で変わってきています。


そんな中、先日町内の祭りにいってきました!
「地蔵盆」とよばれる祭りなのですが、毎年7月20日くらいに開催しています。


開催しているといっても、町内の話なので規模は大きくないです。
近くの子供達が集まって、ボールすくいや的あてなどを楽しんでいます。


こんな感じ

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さてこんな日常を見ていてふとある本の内容を思い出したので、ここで関連付けてようかなと思います。







この祭りで感じたのは「つながり」でした。
町内の知り合いが大人から子供まで一つのところに集まって、ワチャワチャしているあの雰囲気。


今の時代になかなか経験できないものじゃないでしょうか。





昔は地域の中での人間関係の結びつきが強かった。


隣の子供の世話をするなんて当たり前
ズケズケと人の家に入ってくるし
町内の人間の名前はほとんど把握している
誰が何の職なのかもわかっていたり、、、



これは空間的な「近さ」血縁関係的な「近さ」によってもたらされていました。

学校や職場、近所に住んでいる人たちとの関わり、
家族間の結びつきが強い、



そんな状況が人間関係を濃くしていました。
移動が簡単で自由でなかった昔では、子供の頃の友達が一生の友達となることが少なくない。


幻冬舎新書「日本の難点」から引用すれば、「生まれたときに一緒だった人間と死ぬまで一緒」状態です。





しかし技術の発展によって私たちは簡単に移動することができ、
また世界中の人たちとコミュニケーションをすることができるようになりました。



そのおかげで恩恵を受け取った反面、私たちの人間関係は気薄になっていきます。


移動を制限されて固定化されていた状況から、
移動手段の発展によって流動的になったこの社会。



この流動性が、「ここがだめなら次はこっち」のように次々と代替可能なものを生み出します。



これが恋愛にも強く影響していると筆者はいっています。
つまり、「この男がだめなら次はあの人」みたいに恋愛対象の代替可能性も生じてくる。



自分に合った人がでてくるまでどんどん交換していく。
そこにはコミットメント(強いつながり、関係性)はないですよね。






みんなこんな風に思っている。

「あ、こんな俺でも、こんな出来損ないの人間でも好きって言ってくれる人おらんのかな〜」
と考える男子と


「心に溜まった、あるいは奥底にある悩みを打ち明けれる理解ある人はいないかな〜」
と考える女子。



この関係ではどっちも求めて終わりですから、叶うわけもない笑

それが実際に起こっているというのです。










この知識を単にここで解説するだけなら本を読んだらおしまいなわけで、僕が言いたいのはそんなものじゃありません。

これをなぜここで言ったのかというと、前回お話ししたように「見える化」が大事だからです。




何かを経験したり、何かに直面したりするとき、なんとなく過ごしているだけでは見えてこないものがあります。


例えば、
心の状態を指すのなら心理学になるでしょうし
社会のことなら社会学の話になってくる
体のことなら医学やスポーツ科学の話に繋がってきます。


自分が直面している状況の裏側を見る、という視点は非常に大事なこと。





もっと身近にいうならば、自分が友達の言動に腹を立てたとして単にそれに対して怒るだけではなくて、なんでそんなことになったのか、なんでそんな気持ちになったのかを考えることで、今まで見えなかったものが見えてくるようになります。


この時代になぜ結婚率が下がっているのか、(あるいは結婚の晩婚化が進んでいるのか)
なぜオタクがドンドン増えていっているのか
なぜ結婚したくないという人が増えてきているのか
どうして人間関係は希薄になってきてしまったのか
風邪を引いたとき、どうして熱がでるのか
なぜあいつは先輩から好かれるのか



そこには必ず理由があります。
それを、「あ〜こんなことあるね」で終わらすのではなく「なんで?」という意識を持っていく。



そうすることで不可視なものが可視として現れる。




今回はこの日本で起こっている状況が一体どうなっているのか、についてでした。
それが人間関係にも関わってくる。

そして恋愛にも関係してくる。


この繋がりを見ることで今僕たちができることがあるのではないかなと思います。

そしてこの時代こそ、僕たちは人と深く繋がっていく必要があるんじゃないでしょうか。

参考になれば幸いです。

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