子供のやる気を奪う「勉強しなさい」という負の呪文

にやってんの、勉強しなさい!!


という言葉が家庭で飛び交っているでしょう。
家庭内以外でも、学校ですらそういう先生は少なくないと思います。


でもこの言葉は本当に効果のあるものなんでしょうか?





今回はこの話について
二つの切り口から捉えていこうかなとおもいます。




1、義務感



勉強しなさい」は命令ですよね。

命令されるということは、言われた本人の選択肢が一つに絞られるということです。
本来、人は数ある選択肢の中から自分で選んで進んでいきます。


それが一つに絞られた時、人は急に反発心を覚えます






映画やドラマでも題材にされていますよね。

医者の子が無理やり医者になるように育てられて
大人になっていくうちに内面に潜めていた感情を出して
非行に走ったり、親に反発したりなど。




でも、そんな人に「もう医者になんてならなくてもいいよ」
といった途端に、やっぱり医者になりたい、とか言い出したりするんです。



選択肢が出てきたときに自分で選ぶからこそ、それに価値を見出す。

押し付けられたものは進んでやったものと
ちがいますから、反発が起こって当然です。


自分が子供だったときを思い返してください。



このゲームを終わってから勉強しようと思っていたところに
親から「いつまでゲームしているの、勉強しなさい!!

と言われれて急にやる気をなくしたことがあるんじゃないでしょうか?


または、
部屋が汚いな、掃除してやるか

とルンルンで掃除しようとしてたところに

部屋が汚いやんか、掃除しいや!

なーんていわれたもんなら、もうする気失せちゃいますよね。







これも同じ例です。

自ら選んでいたものが、他人に言われることで義務に変わってしまう
そうするともうやる気はどっかに飛んでっちゃいます。







2、パーソナルエリアの侵入

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人には、ここまではいいけどこれ以上はダメ、というスペースがあります。
このことをパーソナルエリアといいます。


そのスペースを超えて接すると不快感が生じます。

例えば、広い空間で、ある人があなたのもとに
30センチの距離まで詰め寄ったとしましょう。

ほとんどの場合、あなたは不快感を感じるはずです。


この言葉は一般的に物理的な意味で使われるのですが、
僕は心理的な意味でも使えると考えています。




心理的にも、ここまではいいけれどこれ以上踏み込んできたらアウト!
みたいな領域が存在するということです。
(以下、物理的、心理的な意味の両方を含んだものをパーソナルエリアとします。)



余計なおせっかい、とかがこれに入りますね。
相手にとって良かれとしたことが、ただの迷惑だったパターン。


ただ、これはおせっかいにとどまるものではありません。


「勉強しなさい」という言葉もこのパーソナルエリアに侵入したものとなります。





なぜなら、勉強するかしないかでその結末を
引き受けるのはその子供であって先生や親ではないから
です。

勉強しなさい、という言葉は子供からすればただのおせっかいなんです。




これを見れば、「じゃあ子供に勉強させなくていいのか!」という
怒りのコメントが届きそうですが、勉強しなくていいといっているんじゃなく
勉強に向かわせる姿勢を変えていこうということです。



多くの場合、親や先生が「勉強しなさい」というときは、
コントロールのニュアンスがただよってしまいます。




周りの人にうちの子はできない子だと思われたくない

勉強させて将来いい高校に行かせてやりたい

いい大学に入っていい会社に就職してほしい

安定した職について親を安心させてほしい





そして、その本音はどうであれ子供のためだからといううまい口実をつくって
相手に勉強させようとします。これでは相手は勉強するどころか返って反発を招いてしまいます。
子供はそういったコントロールの気持ちを察知します。


だから子供は勉強しなくなるんです。

「子供のためだから」、はただの親や先生のエゴであるとまずは認識してください。






そしたら、もうほっとけばいいのか!!

というと、そうでもなく放任主義は認めてはいません。






ここは、アドラー心理学でも同じようなことが言われてあるんですが、
相手が勉強できるような環境を整える
ことが親や先生のできる最良のことです。





イスやつくえを用意する

教材が欲しいなら子供に買ってやる

本棚に興味が向きそうな本を置いておく
(決して渡すのではありません)

その子供に勉強は本当は楽しいものだと伝え、
自らその課題を解決するような援助をしてあげる。

勉強でつまずいたら手助けをしてやる




大事なのは強制によるものではなく、サポートなんです。

「勉強したいならいってねそのときは全力で応援するから」

という旨をつたえておく。あくまでも主人公は相手側です。




そうしたら子供はどんどん勉強してくれます。

もともと人は、ナンデナンデ星人なんです。

小さい子は何かあるたびになんで?なんで?と聞いて何でも知ろうとします。
本来備わっている知への探究心はなくなるものではありません。


それが本来あるべき姿なんです。しかし、親や先生が勉強しろとヤイヤイいうから
それが義務感につながり、パーソナルエリアに踏み込むことになり、


勉強=楽しくない


っていう図式が生まれてしまうんです。





そうではなくてもともと楽しいものなのだから
強制しなくても勝手にやっていくんです。

そして、そのためには環境を整えてやるのが一番大事なことになります。









僕も塾で生徒を教えていますが、勉強を楽しくしていたら、成績が優秀であるほど
親から「勉強しろ」なんて言われたことない
と言っています。

かくある僕も、勉強しなさいなんていわれたことはほぼありません。
だから、スイスイと苦痛なくできたんだと思います。







たとえ子供であっても、一人の立派な人間です。

それは親とか子とかそんなことは関係なく、人はすべて対等です。



そこをわかったとき、相手をコントロールすることなくいい方向に
向かわすことができるんですね。

前回のブログでお話ししましたが、教える側は主人公になれません。
学んでいる方が主人公なんです。





今一度、日頃自分が子供にいっていることを思い起こしてみてください。
そして、徐々に修正してみるとだんだんと変化が出てくるでしょう。





では、今日はここまで
ありがとうございました。






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