指導者は常に力ある脇役であろう!

育とはなんなのか?

教育力とはなんなのか?

その問いの答えはひとそれぞれあると思います。
じゃあ、お前の場合はどうなんだと、真っ先に質問されそうですね笑

そうです。ぼくにもぼくなりのはっきりとした「教育力」の意味があります。
一言で言うなら、

相手の自立を促す力

これが真っ先にあたまの中に出てきます。
なんか、どっかの本に書かれていそうですね。でも、これがぼくの思う
教育力です。

そして、それに伴って常に意識しているものがあります。
それはタイトルにもある通り、

指導する人、教える人は

常に力ある脇役であろう!

ということです。
どういうことか。

よく考えてみてください。

立場的には教えるひと、教えられるひと、が存在します。
この言い方からするとまるで教えるひとの方が主役だと思ってしまうかもしれませんが
こんな言い方ならどうでしょう?

学ぶ(インプットする)人と、アウトプットする人。

この言い方でなら、どちらが主役か?
あきらかに主役なのは学ぶひとなんじゃないでしょうか。

多くのひとが勘違いしているのが、教える側が主役であるということです。
あくまでも教えるのは相手のサポートであって主役にはなれないものです。

ただ、教えるという行為には自尊心がくすぐられたりします。

自分は教える立場だ、だから偉い
自分はひとを導いているんだ、あいつはおれのおかげで成長したんだ

といったふうに。
だから、いつも気をつけなくてはいけません。
とくに劣等感を持っていたり、自分の価値は低いんだと考えているひとは
この傾向が強いです。教えることによって一時的に自分の価値が上がっていると錯覚するから。
でも、それは教える側のマインドとしてはまちがっています。

これで「脇役」という意味をわかってもらえたでしょうか?

ただ、それだけではダメですよね。
力ある脇役になるには、力が必要です。

力とは、確かな経験や知識、技量のことです。
そして、大事なマインド。

愛だけあっても、情熱があっても
確かな力がないと相手を伸ばすことができません。
だから、力も大事なんです。

道ばたで飢えてて倒れているひとがいるとしましょう。
愛のある少年はその現場を目撃し、声をかけて助けようとします。
しかし、その倒れているひとに一番必要なのは食料です。飲み物です。

愛だけがあっても救えないんです。
これは極端だ、というかもしれませんが、それでも
愛だけでは誰も救えないのは確かです。

だから、どれだけ情熱があり、愛があったとしても
経験や技術がなかったらどうしようもできないんです。

どちらも大事。

だからこそ、力ある脇役なんです。

力あるサポーターなんです。

実はこのブログではまだ伝えていない大事なことがあります。
それはこのブログの名前の由来。
そして、 eduplotion とはどういった意味なのか。

教育✖︎爆発 とはどういった意味があるのか。
まだそれについては言及しきれていません。

そこに関してもこれからお話ししていきたいテーマでもあるので
また記事更新していきたいとおもいます。

ありがとうございました。

久次米智公式Twitter

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