僕は現役ではなく、浪人をして大学に入りました。
現役の頃は随分と甘い考えをしていたのでしょう。
今でも「あの時の俺ってやつは、、、」とフフっと笑ってしまう時があります。
現役で落ちて、浪人をしたわけですが、僕はそのこと自体は良いことだとも悪いことだとも思ってもいません。
よく大学で出会う人たちに僕が浪人だったことを告げると、苦労したんだな、みたいな顔をされます笑
中には浪人を、思い出したくもない、人生の汚点だと捉えている人もいました。
しかし浪人をしていること自体には何の意味もありません。それを意味付けるのは自分自身でしかないからです。
現役で大学に受かった人はそれはそれで素晴らしいこと。
きちっと勉強していきたいところに行けたのなら尚更よし。胸を張っていけばいいと思います。
でも、だからといって浪人が悪いわけでもなく、浪人だって素晴らしい存在。
一年間を勉強に費やすことなんて、なかなかできるものではありません。
その選択を選ぶこと自体がすごいことですし、その中で一年間、あるいはそれ以上勉強をやり続けられる力は胸を張れるものです。
「浪人」という字は
汗水かきながら努力して良い人になる
って書きます。
せっせと努力をして良い人になるんです。
だから浪人が悪いことなんてわけないし、浪人を恥ずかしがる必要もない。
それをダメと捉えるかどうかは自分次第。
僕はいつもこう考えていました。
みんなより勉強できて進化できるやん、ラッキー♪
って笑
嘘だろという人もいますが、本当です。
心のどこかで僕は浪人を望んでたんだろうな、と思います。
なるべくしてなった、そんな感じがします。
実際浪人の時代に学んだことは数え切れないほどたくさんありました。
それについてはまた今度話すとして、
今回伝えたいのは現役も素晴らしいし、浪人も素晴らしいってこと。
絶対その経験から学んだこと、身についたことってあります。
そこに目を向けてあげる。
浪人の時代を生かすのも、殺すのも全部自分次第なんです。
過去のダークサイドを見るんじゃなくて、光を当ててみてあげる。
そこには何かしらのメッセージがあったはずだから。
ぜひ考えて欲しいです。
神様があえて自分を浪人させたんだとしたら?
どんなメッセージがあったんだろうか?
浪人をしたことで身についたこと、学んだことって?
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最後まで読んでいただいてありがとうございました。
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