本当にケチなやつは? 惜しむのが必ずしもケチとは限らない理由

チとはどういう意味で使われているんでしょうか?

またどんな人がケチなんでしょうか?

僕はとくに大学一回生のときは「ケチ」と言われたことが何回もありました。
しかしそこに疑問を持っていたんです。おれはケチなのか、と。

僕が一回生の頃、ほとんどバイト尽くしでした。
それは二回生に一年間の留学を控えていたからです。その一年間の生活費を一回生のうちに稼いでおかないといけない。

そうなれば、必然的にバイト三昧になるわけです。でも稼いでも稼いでも留学費用に回っていくから使えるお金はほんの少し。

そうなると、出費を減らすしかありませんでした。

ジュースは買わない
大学で昼飯は抜く
水は冷水機で我慢
服や靴は一切買わない、、、

そうやっていくと友達とかと遊んでいたりするとどうしてもお金を使わないように無意識に行動してしまいます。
お金を使うたびにストレスを感じるんですね。(今もそうですが)

そして言われます。

「おまえ、ほんまケチやな。」

って。

グサっときます、この言葉。
でも、はっきり言います。ぼくはケチではありません。

そしてぼくと同じ境遇の人もまたケチではありません。

ケチとは、あるのに関わらず出し惜しみすることです。

自分が十分なお金(お金以外でも当てはまりますが)を持っているのにも関わらず、だそうとしない。これが「ケチ」の正体です。
しかし、ぼくのようにほとんど使えるお金がない状態の人がお金を出し惜しむのは当たり前の話。

イメージとしては、自分というコップを想像してください。

自分に余裕があるとき、そのコップは満たされます。そして溢れた水を他の誰かに提供したりします。
しかしもし溢れるほどの水がないのなら、他人にあげるとなくなってしまうから水は提供できない。

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だから、ケチとは、溢れているのにも関わらずそれを他人にあげようともせず、そのあふれる水を他に流れないように独り占めすることです。

自分に十分なものがないのに他人に与えることはできません。

ぼくは何度もケチと言われてきましたが、その度にはらわたが煮えかえっていました。

おまえらみたいにお金持ってへんねん!!!

って笑

今となってはいい思い出ですけどね。

これは教育でも同じこと。

まず、自分を愛せない人がどうして生徒を、子供を愛することができるでしょうか。
自分を大事にできない人が、自分が余裕ないのに他人のことはかまっていられません。

まずは自分のエネルギーを高める。だからこそ他人にも親切に、他人を愛することができる。

自分に否定的な言葉を投げかけている人が他人を励ますことができないのと同じように。


不用意に他人に「ケチ」というのは控えましょう。
本当に腹が立ちます。ケチとはあるのにそれ出さない人です。

あと、ケチという人がケチです。

もう一度、

ケチというやつがケチ

「おまえケチやなー」とかいう人ほど自分は出していません。

また人に何かをもらおうとして、断られたときに「ケチか!」という人がいますが、

そもそも
何も与えてないのにもらおうとだけしているおまえの方がよっぽどケチじゃい!!

といってやりたい笑

はい、てことで最後の方は愚痴みたいになってしまいましたが、これがぼくのケチの定義です。

自分のコップを豊かにすること。そうすれば他人にも与えられる。
参考になれば幸いです。

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