教えるとは、
自分のエネルギーを注ぎ込むこと。
そんな風に思っている。
もちろん生徒や子供から
エネルギーを返してくれることもあるけど
こちらがそれを期待することではない。
期待した時点で、それは教えるではなくて
「奪う」に変わってしまう。
人から認められたい
すごいと言われたい
賢いねって言われたい
先生ありがとうって言われたい
そんな気持ちがあるときは
まだまだ「教える」には程遠いと思う。
その心境でいるなら、
もし相手が自分の教え方で成績が上がらなかったら
きっとあなたは気分を害するだろう。
俺のやり方は間違ってはいない。
悪いのは生徒なんだ。
やらない奴が悪いんだ、って。
でも、もし教えるってことが
自分のエネルギーを注ぐことだとしたら
相手がもし成績が悪くても、
どれだけ言われたことをやらなくても、
きっと注ぎ続けると思う。
自分のやり方のどこが悪かったのかな
どうしたらもっと相手は良い状態になれるだろう
どんな風に接したら相手からやる気を引き出せるだろうか
そんな風に思考を巡らして
エネルギーを注ぎ続けられる。
特に教育ってのは、すぐにはエネルギーは返ってこない。
自分がどれだけ注いでも、
相手に響かないことだってある。
でも、その注ぎ続ける姿勢はきっと
相手も見ているだろうし、
そのエネルギーはいつになるかわからないけれど、
5年後、10年後、50年後には大きなものとなって
きっと返ってくる。
そう信じて今日も塾講師をする。
なんか言葉にしたらクサイけど、
でもきっとそれが教えるってことなんじゃないかなって
思ってます。
参考になれば幸いです。
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